フランス人絵本作家 アラン・グレさんとの出会い (2/5)

 

アラン・グレさんとの出会い<第1章>  の続きです。

 

2003年10月のこと。

アラン・グレさんのイラストを使ったカレンダーを作りたい!」という思いを胸に、まずは何をしたら良いのかを考えました。

当時、グレさんのプロフィールはどこを探しても見つけることができませんでした。グレさんが何歳なのか、ご健在なのかどうかもわかりません。

そこでまず、グレさんの教育本を一番多く出版していたCastermanにコンタクトを取ることにしたのです。

 

アラン・グレさんを探すところからスタート

「昔出版されていたアラングレ絵本のイラストを使ったカレンダーを作りたい」と話すと、出版社の方が会って下さることに。すぐにブリュッセルにあるCasterman社に向かいました。(ちなみに当時住んでいたゲントからブリュッセルは電車で30分ほど)

お会いした方は、グレさんがご健在であることを確認して下さり、このプロジェクトにとても前向きで、「実現に向けて動きましょう!」という流れでミーティングは終了。

このときグレさんの住所を教えてもらうことはできませんでしたが、出版社の方が住所の一部を口にしました。そしてその単語がなぜか私の耳に残ったのです。

o0800068813588857588

 

その後その方から連絡はまったくなく、こちらから連絡をしても反応はゼロ。

こうなったら自分たち(当時ビジネスパートナーでもあった元旦那さんと)で探してみよう!と、ネットで検索してみることに。

するといとも簡単に同姓同名の方の住所が出てきました(笑)

でもこの人があのアラングレさんかどうかはわかりません。

「まさか、こんなに簡単に見つかるわけないよね?」

 

アラン・グレさんが見つかる?

でもこのとき閃いたのです。あのミーティングの時に出版社さんがポロッと口にした住所の一部。

その単語がここに入っていれば間違いない!と。

 

まさにドンピシャでした。

こうなったら急いで手紙を書かなければ!とまずは手紙作りに取り掛かります

 

私がグレさんの作品をどれだけ愛しているかを綴り、自分が集めてきた絵本のコレクションの写真を添付して、2005年用のカレンダーを作りたい!というメッセージも添えました。

 

無事にグレさんご本人に届きますように・・・

ベルギーから書留でグレさんに手紙を送り、待つこと数日。

 

・・・

 

なんと、ALAIN GREEという送信元でEメールが届いたのです!!!

 

 第3章: まさかのご本人からお返事が!





 アラン・グレさんとの出会い 第1章

 アラン・グレさんとの出会い 第4章

 アラン・グレさんとの出会い 第5章