アラン・グレさんとの出会い<第3章> の続きです。
2003年11月にグレさんからメールでお返事を頂き、その翌年、2004年2月、ついにグレさん邸を訪れることになりました!
向かうのは南フランス。空港からグレさん邸までは車で2時間ほど。
グレさんから手書きの地図をもらい、空港からレンタカーで向かいました。家が近づくにつれて、緊張感とワクワク感で落ち着きませんでした。
そして、いよいよ到着!
アラン・グレ邸へ!
インターホンを押すと大きな門が開き、奥様のモニークさんが出てこられました。笑顔がとっても素敵な優しい女性☺️
彼女のおかげでガチガチだった緊張が少しほぐれました。
中庭に車を止めると、グレさんご本人登場です!モニークさんとおなじようにとってもあたたかくてやさしい笑顔。
お二人の太陽のような笑顔に、緊張が一気に解放されました。
立派な豪邸の中に入り、リビングに通されると・・・
そこには真っ青な海の景色が!
リビングルームの先に続く広々としたテラスから、地中海の真っ青な海が果てしなく広がっているのです。
自宅前の砂浜からは、グレさんの船専用のデッキも見えます。
「海が大好きでね」とグレさん。
モニークさんは子どものころから『いつか船の上で暮らしたい』という夢を持っていたそう。
おなじように若い頃のグレさんも船の上での生活を夢見ていました。その夢を二人で実現し、世界のさまざまな国をセーリングボートで航海したのです。
お二人は、昔の話から最近のことまで興味深いお話をたくさんして下さり、充実した贅沢な時間がゆったりと流れていきました。
しばらくして、私たちが蚤の市を回っては昔の絵本を購入しているという話になった時、「まだ何冊か屋根裏部屋に保管しているものがあるよ」とグレさんが言うではありませんか!
出版当時、増刷されるたびに出版社からサンプルとして何冊も送られてきたため、それがたくさんたまって行ったとか。さすがにすべて保管することは無理だったそうですが、それでも一部はとってあるとのこと。
アラン・グレさんの屋根裏部屋へ・・・
「屋根裏部屋、見る?」
「もちろん!見せて頂きたいです!」
今まで自分にとっては雲の上の存在だったグレさんのお宅で、会った初日に彼の家の屋根裏部屋へハシゴを使って一緒に登る・・・
この景色が非現実的過ぎて、なんだかおかしいような、不思議な気持ちになったのを覚えています。
登った屋根裏部屋には・・・
たくさんの箱が並んでいました!グレさんの言う『絵本の一部だけを保管』の “一部” は、私たちにとっては相当な量!
しかも普段蚤の市ではなかなかお目に掛かれない珍しい絵本もたくさんあるではありませんか!
お宝の絵本の山を発見!
まさに「お宝」発見の気分!
箱にはグレさん手書きの文字が 😍
「絵本はすべて買い取っていいよ」とのことで、グレさんが必要な分だけを残し、残りはすべて購入しました(笑)
保管状態が最高に良いため、どの絵本も新品同様!
最終的に何箱になったのか忘れてしまったのですが、とても飛行機で持ち帰れる量ではなかったので、貴重な手書きの段ボールを保管するために本は別のだんぼーるに梱包し直し、運送業者を手配してベルギーまで発送しました。
これらの絵本は、自分のコレクション分を残したあと、「グレさん宅で保管されていた絵本です」という証明書を付けてリコベルのネットショップで販売、完売しました。
いよいよカレンダー制作へ
屋根裏部屋のあとは、肝心のカレンダー制作の話へ。
私たちの思いを話すと、カレンダーの”デザイン”を、グレさんご自身が引き受けて下さるとのことに!
まさかここまでしてくださるとは思ってもいなかったので、とてもおどろくと同時に、なんともありがたいオファーだと感動しました。
30年間ご自身の絵本を見ることがなかったグレさんが、今度はパソコンを使って新しい命を吹き込んで下さると言うのです。
そうして出来上がったのがこちら!!
カレンダーは日本用に作り、祝祭日も日本のものに合わせました。
このカレンダーが、私とグレさんの一番最初のお仕事です。
でもこの時点ではまだ、イラストの版権を頂こうとか、ましてや独占権を得るなんてことは一切頭にありませんでした。
実はこのあとすぐ、別の日本人がグレさんの元へ取材に訪れています。それを聞きつけたさらに別の方も取材に向かい、この方はグッズの展開も始めました。
この時はまだ、イラストの権利はオープンな状態で、誰でもグレさんの許可さえあれば商品展開が出来る状態にあったのです。
頭の隅にすらなかった “イラスト版権の取得”。でも、ある出来事が、そのことを思いつかせてくれたのでした。